3月になってしまった~西脇順三郎へのオマージュ~
3月になってしまった。って、もう8日か。
今年の青森の冬は、12月と年末年始のあたりは雪まみれでしたが、2月は記録的な少雪。今朝もいい天気です。このまま春が来てくれるとありがたい。
3月、出会いと別れの季節です。
この時期、なんとも寂しいような、宮沢賢治的に言うと新しいような気持ちが沸き上がってくる。とくに、雪国は深く雪に閉ざされていた世界が次第に融けて、命が一斉に芽吹きだす。その景色の変化が大きい。だから、心境に与える影響も大きいように思う。
そんな心境を上手に言葉に表現してくれた詩人がいる。
西脇順三郎 - Wikipedia。知っています?自分の周りには知っている人、なかなかいませんね。
ノーベル文学賞にもノミネートされているんですがね…
この方の詩を一言で言うと、醸成された言葉の羅列。
僕の生涯で、本当に出会えてよかったと思える文人の一人です。
では、順三郎から「3月になってしまった」の気分を表現してくれる一編を紹介。
四六
武蔵野を歩いてゐたあの頃
秋が来る度に
黄色い古さびた溜息の
くぬぎの葉をふむその音を
明日のちぎりと
昔のことを憶ふ
二三枚の楢の葉とくぬぎの葉を
家に持ち帰り机の上に置き
一時野をしのぶこともあった
また枯木の枝をよくみれば
既に赤み帯びた芽がすくみ出てゐる
冬の初めに春はすでに深い
木の芽の淋しき
『旅人かへらず』
冬の初めに春はすでに深い…、痺れる~