つまらないものへのあこがれ
つまらないものに魅かれる。
無意味なものと言ったらいいのか。
難しい話はできないけれど、目的や目標やゴールや計画などとは無縁なもの。
生きていくためには欠かせない大切な生活、例えば、働くことや洗濯をすることや髭を剃ることやニュースをチェックすることとは一線を画しているもの。
余人にはやることの理由が窺い知れぬもの
僕にとってそれは、たき火をすることだったり、読み古した本を棚から引っ張り出してきてぼんやりと眺めることだったりする…
でもね、言うまでもないけれど、そのつまらないものは、当人にとってはかけがえのないもの。
そして、他人がその人間をみるとき、その人に、得も言われぬ深みや厚み、味わいや滋味といったものを、仮にもし感じるのだとしたら、それは、この「つまらないもの」への嗜好がもたらしたものなのかもしれない…
なんて「つまらないもの」へのあこがれを自分なりに正当化してみました。
ちなみに、日々の仕事や家事や人間関係とは一線を画すものを「つまらないもの」と表現したのは詩人の西脇順三郎です。ありがとう、ジュンザブロウ。
四三
或る秋の午後
小平村の英学塾の廊下で
故郷にいとはしたなき女
「先生何か津田文学
に書いて下さいな」といった
その後その女にあった時
「先生あんなつまらないものを
下さって ひどいわ」といわれて
がっかりした
その当時からつまらないものに
興味があったのでやむを得なかった
むさし野に秋が来ると
雑木林は恋人の幽霊の音がする
櫟がふしくれだった枝をまげて
淋しい
古さびた黄色に色づき
あの大きなギザギザのある
長い葉がかさかさ音を出す
『旅人かへらず』
その当時からつまらないものに興味があったのでやむを得なかった…痺れるね。
なお、このブログには、基本、つまらないものを書き連ねようと思っています(笑)